公営住宅で暮らそう

とある団地に引っ越し予定の低所得一家の暮らしの記録

双極性障害になった私のエピソード。

おはようございます🌞

 

さて、双極性障害を患って5年くらいになります。ayumiです。

なんとかなるよ!っていう前向きな話と、大変だった話をつらつら~っとまとめます。

 

もくじ

 

私が双極性障害になった理由

なんか鬱ブログみたいになってましたが、先日過去の記憶が蘇り、泣きながらブログを書いていました。

過去がフラッシュバック。~小学校 - 公営住宅で暮らそう

過去がフラッシュバック~学生時代 - 公営住宅で暮らそう

見苦しさ極まりないです。すいません。

他にも社会人編を書こうかと思っていたけど、あまりにもエグイので躊躇しています。笑

社会人になって、会社でトラブルがあって。

そこで生活が荒れて躁鬱エピソードが生じたのが事の発端なのですが。

 

まぁ、皆さん人生色々と苦労があると思います。

上記の記事の内容をざっくり箇条書きにすると、私の場合は

  • 遺伝的要素(祖父が統合失調症、母が鬱、父がてんかん
  • 幼少期にいじめにあった経験
  • 家庭でのトラブル(思春期に母が鬱でヒステリックだったり、父が倒れて入院したり)
  • 友人関係のトラブル(私自身、空気の読めない子だった)
  • 震災の体験(地元は仙台)
  • 環境の変化(2011年に上京、就職、それから引っ越し5回…)

など、まぁ25年くらいの人生の間で色々ありまして、その間、定期的に心療内科を受診したところ躁鬱エピソードが見受けられるという事で、「双極性障害」の診断名がつきました。

診断名がつくまで、4年くらいかかりました。

 

「躁鬱エピソード」がクリアになった状態

躁鬱エピソードって、結局どんな状態?っていう話ですが…

躁エピソード
  • 金銭感覚の崩壊(借金まみれ)
  • 性的逸脱(複数恋愛、夜の仕事にも手を出す)
  • 多弁
  • 妙なハイテンション
  • 過度の自信
  • 過活動
  • 不眠(3日徹夜とか余裕)
  • 体重の減少(食べなくても寝なくてもいいから)
  • 酒におぼれる
鬱エピソード
  • 過眠(起き上がれない、2週間くらい寝た切り)
  • 過食・拒食、体重の増減(その頃47㎏~60㎏の間で激やせ激太りを何度も繰返す)
  • 引きこもり
  • 仕事が続かない(3回くらい転職)
  • 気分の落ち込み
  • 涙が止まらない

など症状が現れ、色々大変でした。

丁度一番大変なときかな。

飲んだくれているときに今の旦那さんに出会い、幸いなことに子どもを授かって、私自身も生まれ変わりました。

 

産前産後が一番しんどかった

私の場合はデキ婚だったので、心の準備もなく急に妊娠が発覚しました。

それからが大変。

結婚・出産準備
  • 入籍、名義変更など事務手続き
  • 両家挨拶
  • 結婚式
  • 新居に引っ越し
  • 母子手帳の発行とか出生届の提出とか
  • 出産準備(購入品をそろえる)
  • 出産要件の医療費助成について調べる・手続きする
  • 保育園の入園準備・見学
医療的アプローチ
  • 服薬中の薬の変更(デパケンエビリファイは胎児に影響のある禁忌薬の為、ラミクタールのみに変更)
  • かかりつけ病院の変更(産科と精神科の医療連携が必要なので大きな都立病院に転院)
  • 医療連携室とのやりとり(行政的アプローチの模索・連携)
  • 母子手帳の発行とか妊婦健診とか母親学級とか
  • 産後鬱になる可能性が7割の確率だった為、予防的に入院予約(実際に2週間入院した)
障害サービスの利用

(関連記事)

障害ってやつは。+α障害手帳の活用 - 公営住宅で暮らそう

障害年金の支給が決定しました① ひとまずご報告編(支給決定内容について) - 公営住宅で暮らそう

障害年金の支給が決定しました② 申請から受給まで編 - 公営住宅で暮らそう

 

子どもをどうするか

産後入院期間中、誰が育児するかで揉める⇒結果、乳児院入所手続きに至りました。

  • 保健所
  • 子ども家庭支援センター
  • 児童相談所
  • 医療連携室

と常に面談していた記憶があります。。

これらを妊娠2~9ヶ月の間に全部やりました。

ほぼ一人で。笑

辛くなって死にたくなって、救急搬送されたことも2回くらいあったかな…(遠い目)

育児時間確保と金銭的に夫には転職してもらった

これが後に夫の鬱の原因にもなるんですけどね。

育児の協力、家事支援、金銭的支援で、夫にはかなり助けてもらいました。

産後は2か月半息子を乳児院に預ける

これ、児相と相当揉めました。

結局仕事一辺倒な夫が無関心すぎて、相談する間もなく承諾書に印鑑を押してしまったが最後。

私が入院期間中のみ預ける約束だったのに、なんだかんだ理由をつけて一番かわいい新生児~生後3か月くらいまで息子を返してくれませんでした。

おっぱいももちろん出なくなったし、就労禁止、産後動けない、家で一人…何の為に私は生きているんだと思って、本当に辛い記憶です。

弁護士を介して、乳児院に入所する決定書を覆す「審査請求書」を都に提出して、ようやく児相が動いて帰ってきた感じでしたね。

(関連記事)

嬉しいご報告。乳児院から息子を引き取れました。(児童相談所とのやりとりについて等) - 公営住宅で暮らそう

 

障害認定でかなり救われている

もう死ぬような辛い思いをして、結果、社会的セーフネットで私は生かされています

仕事ができない、

  • 自立支援医療の助成(医療費の減免)
  • 障害手帳の発行(都営交通の乗車券や公共施設の割引など)
  • 障害年金の受給
  • 障害ヘルパーにより家事支援
  • 障害要件で保育園入園
  • 障害要件で公営住宅に当選

本当に、神様と行政には感謝しなければいけませんね。

 

子どもを真っ当に育てたい気持ちが、自分を変えた

今までは無鉄砲で、無計画で無責任で、周囲に多大な迷惑ばかりかけていた人生でした。

周りなんて見えてなくて、なりふり構わず奔走していた過去の自分。

(現在も100点ではありませんが…)

 

子どもを授かって思うのは、子育てには少なからず

  • 協力してくれる家族や地域との関わり
  • 金銭的安定(衣食住の安定に繋がります)
  • 育児・家事をこなすこと

が必要で、どれも不足したら生活・育児が成り立ちません。

維持しようと思ったら、体が資本。

自分も大切にしないと、子どもを守ることなんてできない

と気づくことができました。

 

そして、自分を愛せないと、他人(子どもも含め)を愛せないんだ

と気づくこともできました。

 

まだ気づくと「死にたい」とか口から出ちゃったりしますけどね。

子の顔を見るとハッとして、「いけない、いけない…」と思い直せるようになりました。

 

因みに、上記の話をもうちょっと詳しく(ややこしく?笑)書いたサイトを過去に運営していましたので、そちらのリンクも貼っておきます。

dressycat.xyz

 

 

そんなこんなで今があります。

これからも山あり谷ありでしょうが、できるだけ躁鬱の波が安定するように、

出来るだけ行動記録・管理したり、服薬コントロールの習慣を維持していきたいと思います。

 

日々、淡々とローペースで。

これが案外難しいのですが。

注意してこれからも生きていこうと思います。

そして、大切な息子を自立した大人に育てていきたいと思っています🍀

 

 

ご清聴ありがとうございました🙌